国際的芸術祭への軌跡
多くの先人達への敬意を表し、北海道芸術史における国際芸術祭への経緯、軌跡を、美術評論家として長らく第一線で活動されてこられた吉田豪介氏の著書「北海道の美術史 異端と正統のダイナミズム」を紐解きながら紹介させて頂きます。長い北海道芸術史の中の、ひとつひとつの活動は、それぞれにおいて現在の芸術シーンに深く繋がっていますが、ここでは国際的な交流活動に焦点を当ててご紹介します。
(お名前については順不同、敬称略とさせていただきました。)
その動きは1970年代から始まった
その動きは1970年代から始まった。国際化を唱える中央の美術状況を念頭に据え、超えられない地域性の問題や時代とのコミュニケーションが断絶しているという思いからグループ展の規模を拡大しストレートに叫ぶ発想を基に、阿部典英、岡部昌生、小松清、田村宏、米谷雄平、渡辺伊八郎などが出品した「EXHIBTION 70 HOKKAIDO」が開催され、この運動体は翌1971年の「北海道第三次世代による企画展・THE VISUAL TIME 展」へつながる。同展には砂澤ビッキ、大滝憲二、柿崎ひろし、杉山留美子など47名の中堅、若手が集合し、平面、立体、映像と多岐にわたった展開をみせた。国際化を視野に入れた、これまでの道内で最大規模のグループ展となった。

左「EXHIBTION 70 HOKKAIDO」1970
右「北海道第三次世代による企画展・
THE VISUAL TIME展」1971
北海道における初の国際展は、現代(いま)の拡張を予見していた
国際化へのもうひとつの新しい方向性は、1973年、映像の分野で示されることになった。道立美術館の学芸員だった武田厚が中心となって開催した「北海道フィルム・アートフェスティバル73」がそれである。中島洋、矢崎勝美、米谷雄平など22名が参加し、アメリカ、ドイツ、カナダからの賛助出品も含めて50本の実験映画が上映された。正に国際映画祭の始まりともいえる。現代美術における表現の領域が、フィルム・メディアによって拡張しうることを予見したものだが、メディア・アートなど多くの映像表現が、現代美術の重要な表現ジャンルとなった現在から振り返ると、その予感が的をえたものであったことは明らかであろう。















